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とある編集者の晒しな日記

コンクリートジャングル東京の編集プロダクションに勤めるライターの実験室

「社会貢献」って何?っていうか社会って何??

社会経済

こんばんは!zorazoraです。今日はいつにも増してシリアスな話をします。 私、zorazoraは「社会の役に立つ」とか「社会貢献」という言葉を見聞きすると、軽く1分間ぐらいフリーズします((((;゚Д゚)))))))

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もちろん、私のCPUの性能が低いのが原因ですし、社会人としてあってはならないことだと思うのですが、実は、これはものすごい奥の深い言葉ですよね。ほら、ここにも早速出てきましたよね、「社会」人って言葉が(笑)。

「社会」とは何か 

 はじめに言っておきますけど、浅いようでいて深い話なので、このブログを読めば最後まで到達せずに眠くなるか、最後まで読み切ったら何かを言いたくなること請け合いです(汗


まずは、社会の一般的な定義を見てみましょうか。

 

【社会】とは:人間が集まって共同生活を営む際に、人々の関係の総体が一つの輪郭をもって現れる場合の、その集団。諸集団の総和からなる包括的複合体をもいう。自然的に発生したものと、利害・目的などに基づいて人為的に作られたものとがある。家族・村落・ギルド・教会・会社・政党・階級・国家などが主要な形態。


例:「社会に貢献する」(出典:『広辞苑』,第六版)

 

デター!((((;゚Д゚))))))) 

 

用例からして「社会に貢献する」だよ(汗汗 いやがらせとしか思えません(笑)。この定義を一語一語掘り下げていくととんでもないことになるのでここでは割愛します。思いっきり端的にいっちゃうと、「社会」っていうのは人間の集まりのこと。そう考えると割と簡単ですよね?いろんな集団や組織が社会に含まれることになります。

 

でも、時々「これってどうよ?社会って言えるの??」っていうものが出てきます。例えば、シーシェパード独裁国家オウム真理教、反社会的勢力…etc

 

ひとつひとつ理由を述べているとキリがないので検証しませんが、結論から言って全て「社会」に含まれます。けだし同じ社会の中でも、とかく「社会のため」という言葉を使いたがるのは、政治家のみなさんですよね。政治家の方の言うこの「社会」という言葉、割とよく聞きますけど、あまり考えずに聞き流してませんか?

 

ここに大きな落とし穴があると、zorazoraは考えます。

 

国会議員さんなら「国民の利益のため」、県議会議員さんなら「県民の利益のため」、市議会議員さんなら…と、知らず知らずのうちに、議員さんは我々のために働いてくれるものだと思ってこの言葉を自分の利益のように置き換えるじゃないですか。まずそこからして多いにギモンです。

 

だって、議員さんの「社会のため」は、「国益」にも置き換えられるし、「政党」にも置き換えられるし、政党の中の「派閥」にも置き換えられる。もっというとさっきの定義からいくと「家族」にも置き換えられちゃう。「私は『社会』のために一生懸命働きます!」という演説は、「私は『家族』のために一生懸命働きます!」という解釈が可能になります。これが何を意味するか。

 

舛添都知事さんが税金を使って家族旅行に出かけることも社会貢献として正当化されてしまう。

 

そう考えると恐ろしい言葉ですよね、「社会の役に立つ」って(汗汗 水戸黄門の印籠並みに融通のきく万能アイテムだと思いませんか?(笑)。だって、新興宗教の布教やマルチ商法、裏社会の取引、もっと言っちゃうとオレオレ詐欺の集団だって、当人たちが「社会の役に立つ」と信じて疑わなかったら、全て社会のためになってしまうわけです。ですから、zorazoraはこの言葉を見聞きしたら、ちょっと立ち止まって考えなくてはならないのです。犯罪は別としても、彼らは何らかの形で「社会の役に立っている」のだから。

 個人の利益を最大化することが社会貢献になるか?

 この「社会の役に立つ」や「社会貢献」という言葉があまりに遠大過ぎるので、ここで少し的をしぼってみたいと思います。アダムスミスという経済学者の「(神の)見えざる手」という言葉は耳にしたことがある方もいると思います。かれの主張はこうです。

【アダムスミスの「見えざる手」】とは:近代的個人の利己心を経済活動の動機として認め、個々の資本家がそれぞれ最大の利潤を追求して最大の労働を維持すれば、社会の全生産物の価値は最大となり、これに相応する社会の年収、すなわち利潤や賃金も最大になる。したがって個々人は私の利益だけを追求して自由競争していくうちに、見えざる手に導かれて、みずから予期しなかった目的、すなわち社会の繁栄と調和を達成することになると考え、国家干渉の排除を主張した。


(出展:『ブリタニカ国際大百科事典』,ブリタニカ出版)

古典派経済学の祖ですから、労働者と資本家の対立の欠如など、現代にそぐわないとされている部分があるのですが、「個々人の利益」をお金に換算した場合において、私はこの主張に概ね賛成です。「個々人の利益」がお金以外のものと仮定すると、「幸福論」のような迷路にハマり込んでフリーズどころか強制シャットダウンするので、ここでは利益=お金と考えます((((;゚Д゚))))))) 

 

もちろん、お金のために生きない人もたくさんいます。ガンジーマザーテレサやボランティア団体の人々などなど…ただし、こういう人たちも、利他的な行動を取ることによって何らかの対価を得ているとzorazoraは考えています。栄誉とかね。どうしたって「社会」の中に組み込まれているわけですから。

 

余談ですが、高校時代に将来の夢を聞かれて、「社会の歯車だけにはなりたくない」と言った同級生がいました。この時に逆志向に向かいましたよね(苦笑)。だって、社会の歯車になってない人は、他人から隔絶された無人島で完全自給自足の生活を送ってる仙人とか漂流者の方ぐらいですよ?極端な話をすれば、内閣総理大臣だって日本を代表する大きな歯車です。少し前に鳩○首相がいましたけど、例えていうなら歯車ではないけど大きな鳩時計の飾りの人形に過ぎませんよね??

 

いえ、あくまで例えの話なのでお気を悪くしないでください。確かに首相は大事な地位にいる政治家さんです。割と短期的に交代劇があるので代えがきくと考えられがちですが、「日本国」を背負うということがどれだけ大変なことなのかは想像に難くありません。

 

で、本題に戻りますけど、zorazoraは個々人が利益を最大化することが社会の繁栄と調和を達成することに繋がると考えます。個人の利益が大きいほど、それだけ社会に貢献できる余裕も大きくなるからです。

 

だって、東日本大震災の時にソフトバンク孫正義さんが出した義援金100億円と言われています。この額、100万人の人が1万円ずつ募金したのと同じ額ですよ??積み重ねが大事だし、気持ちの問題だってことはわかりますけど、同じように寄付した身としてはなんか立つ瀬がない気になりますよね(泣

 

世界に目を向けるとマイクロソフトビル・ゲイツさんは総額3兆円を優に超える額を慈善団体に寄付をしたそうです。ブラッド・ピットアンジェリーナ・ジョリー夫妻は慈善活動に熱心で、10億円以上の寄付をしたことでも知られてますよね。その他、歴史を鑑みるとアメリカの鉄鋼王、カーネギーはその晩年、音楽会場のカーネギーホールを作ったり、カーネギーメロン大学を創設したり、社会・慈善活動に貢献したといいます。

 

これらの方々の共通点はなんでしょうか。そう、本業で個人の利益を最大化してから、その利益を社会に還元したということですよね。社会に貢献したいのであれば、自らの利益(徳と言いうるかも知れませんが)を最大化しないことには、偉大な慈善活動家の足元にも及ばないということです。

 

しかし、どう足掻いても、舛添さんは社会貢献をしたのではなく、税金を使って私腹を肥やしたと大多数の都民に思われていることは間違いなさそうです(残念!