読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

とある編集者の晒しな日記

コンクリートジャングル東京の編集プロダクションに勤めるライターの実験室

なぜ女性は最終的に「泣く」という手段に訴えるのか?

多くの女性に泣かれた。

 

f:id:zorazora:20170119005724j:plain

 

一人の女性を何度も泣かせたのではなく、覚えているだけでも10人以上の女性に泣かれた。モテ自慢でもなんでもないが、私を「女の敵」だという方に問いたい。あなたは今までに男性の前で泣いたことは無かっただろうか。

1.泣くタイミングがわからない

いつ泣き出してしまうかわからないから、おいそれと女性と親密になることができない。例を挙げると、

・仕事のミーティングの最中に他人のミスをあげつらう派遣社員の女性を「ミスは誰にでもあること。ミスを補って改善していくのがチームで仕事をするということ」とミスをした社員を庇ったら社内中に響く声で1時間位泣き続けられた

・「俺たちって兄妹みたいに仲のいい友達だよね!」と友人にいったら「そうかなあ?グスン…」とグズり始めた

・ストーカーになった女性に「縁を切りたい」と言ったらゴネられて泣かれた

・「別れる以外にない」と言って聞かない彼女に「分かった」と同意して帰り際にきれいさっぱり着拒して切り替えようとしたら、「どうしてももう一度会いたい」とTELが掛かってきて仕方なく会ったら泣いて「別れたくない」と言われたのでやりなおしたが結局破局した

・彼女がいると言っているにも関わらず「抱いて欲しい」という願いを聞き入れなかったために「泣きながら帰った」とメールが届いた

etcである。ひとつひとつの涙を思い出すと私も悲しくなってくる。

2.中には自分のせいで泣かせたこともある

私に非があったものもあった。これも彼女がいた時のことだが、「彼女がいることは知っていますが私の気持ちは変わりません」と言われて迷いが生じてしまい、迷っていることを正直に彼女に話したら結果的に泣かせるという事態を招いてしまった。

 

また、自分からは連絡先を教えたくないと断ったにも関わらずどうしても教えて欲しいと言われたので、そこまで想ってくれるのならうまくいくかも知れないと思い連絡先を教え結果的に付き合ってはみたものの、一ヶ月でやはり無理だということがわかり、別れ話を切り出したら当然のごとく泣かれた。

3.次第に興ざめしてしまい無関心になってしまった

今では本当に申し訳ないと思っているが、当時は若かったせいもあってなぜ泣くのかが判然としなかったし、人前で泣かれるのはこちらもひどく息が詰まってしまい、次第に感覚が麻痺してしまうようになった。泣かれた時点で「またかよ?」と等しく「理屈が通じない女性」と断定するようになったのだ。

 

しかも全て理詰めで諭しているわけではなく、突拍子もないタイミングでいきなり泣く女性がいるのでお手上げだった。これも例証すると、人妻の女性社員に誘われて飲んだ後にカラオケで歌っていたら、突如「私はダメな女なんです」と泣きつかれた。

 

事情はあえて聞かずに肩を貸して泣きたいだけ泣かせてあげたが、私にはどうにもできなかった…というか、したくもなかった。ちなみに浮気や不倫の類は一度もしたことがない。彼女と別の女性を天秤にかけて迷いが生じた時のように、「浮気」よりも「本気」の方が性質が悪い。

4.泣くのは最終手段

同列に語れることではないが、男性で言えば、女性が泣くことは相手に対して暴力をふるうことに似ていると思う。理屈では通用しないから力に任せるしかないのである。稚拙な行為ではあるし、私は女性に暴力をふるったことなど一度もないが都合が悪くなるとついつい出てしまう最後の手段であろう。

 

最後の手段をなぜ何人もの女性に使われなければならないのか?全て私が悪いのか??男女分け隔てなく接する私に非があるというのなら、男性から同じような目に遭ってもおかしくないのではないだろうか。ところが男性から泣かれたり暴力をふるわれたりしたことはない。

 

当然と言えば当然のことなのかも知れないが、女性に限ってどうしてこうも最後の手を使われるのか。ワルい女ばかりに引っ掛かるということなのだろうか。

5.「男らしさ」や「女らしさ」とはなんだろう

私は「そうは思わない」と結論づける。確かに弱みにつけこまれやすい部分はあると思う。勘違いされやすいような気の遣い方を男女問わずしてしまうようなところもある。

 

しかし、だから何だというのだ?上記のように一部の例外を除いて悪いことをしたわけでも「目には目を歯には歯を」で暴力をふるわったわけでもない。ましてや、こう何人もの女性に泣かれると、こちらもいい加減辟易して泣きたくなってくる。

 

泣くのは一部の女性だけかも知れないが、私は考えに考え抜いた末、女性のそうした部分も含めて包み込めるような懐の深さを持たねばならないのではないかと考えた。

 

泣かれたところでどうもしてやれない涙もあるし、正面から受け止めねばならない涙もあるだろう。だが私に対してぶつけてくる感情の機微を、「女らしさ」や「男らしさ」を超えた「人間らしさ」として理解する姿勢を見せる。このぐらいの余裕は持ちたいと思う。